自然豊かな北海道には様々なところにフットパスが設定されています。
台風が去ったあと、素晴らしい秋晴れとなったので、札幌の隣街、石狩市の”はまなすの丘公園”へ出かけました。
“フットパス”については下記の記事をご覧ください。
石狩市のフットパス
石狩市のフットパスは、”NPO法人いしかり海辺ファンクラブ”によって、石狩海岸に設定されています。
石狩海岸は、小樽市銭函から石狩市厚田区望来までの約25kmに渡る海岸です。
“いしかり海辺ファンクラブ”のサイトでは下記のように紹介されています。
自然のままの砂浜、砂丘上に広がる海岸草原、カシワの天然海岸林が大規模に残る、全国でも希少な場所となっており、北海道自然環境保全指針(平成元年)において、保全を図るべき「すぐれた自然地域」に選定されています。砂丘海岸の豊かな生態系とともに、古くから人々は小樽と石狩をつなぐこの海辺の道を利用してきた歴史があります。
ホームページを見ましたが『石狩海岸』の環境を残すすばらしい活動をされていますね。
石狩海岸フットパス
このように自然豊かな場所に5つのフットパスが設定され、約25kmの石狩海岸を堪能できるルートになっています。
- Route 1 新港東から本町へのうみべみち
- Route 2 新川河口・旧小樽内川跡とカシワ林の道
- Route 3 石狩砂丘と新港工業団地を巡る道
- Route 4 石狩川河口右岸から望来へのうみべみち
- Route 5 石狩本町から河口まで はまなすの丘公園をめぐるみち
それぞれのコースや説明などのパンフレットはNPO法人いしかり海辺ファンクラブのサイトからダウンロードができます。
その中から今回は、石狩灯台、石狩川河口を含む”Route 5 石狩本町から河口まで はまなすの丘公園をめぐるみち”を歩きます。
コースが5つあるのか。まさかお前、全部行く気?(ww)
このルートは、小川浩一郎さん著の「北海道フットパスガイド1」にも「石狩浜コース」として掲載されているルートです。
今回のコース
今回はコース図にある赤コースを巡ります。
本来のコースは石狩市観光センターから堤防上を進むのですが、今回は”弁天歴史通り”を通って、”A”→”B”→”C”→”D”→”B”→”E”→”F”→”G”の順で進み、番屋の湯方面へ戻ります。
石狩川の河口ってどのようになってるんでしょうね?
みどころ・スポット
出発点は、石狩市の本町地区です。
“弁天歴史通り”は石狩川をイメージして波形の道路が整備されています。
いしかり砂丘の風資料館
スタートしてすぐの弁天歴史通りの入り口に「いしかり砂丘の風資料館」はあります。
この地区はフットパスのコース名にある通り、石狩川の河口地区であり、「石狩川と日本海が出会うところ」に位置しています。
このことから、この資料館では「海・川・河口の自然と歴史」「縄文時代の砂丘の人々」の展示が行われています。
また、隣接して、日本遺産「北前船寄港地・船主集落」の構成文化財である「旧長野商店」があります。
越後出身の長野徳太郎が創業した商店で、明治から大正時代の石狩町(現石狩市)を代表する商家だったとのことです。
立派な蔵だ。道路の拡張工事で移転復元されたんだってね。すごいな。
石狩弁天社
「旧長野商店」から少し進むと左手に「石狩弁天社」があります。
石狩弁天社の沿革は、石狩市郷土研究会のパンフレットによると下記の通りです。
「弁天社、鳥居・灯篭・柵皆石にして、はなはだ美々しきものなり」と松浦武四郎の『再航蝦夷日誌巻之七』(1946)に書かれた石狩弁天社は、秋味大漁・海上安全・蝦夷地静謐などを祈願して建てられる。
開創は、今から約300年前の元禄7年(1694)、松前藩の石狩直領場所に上乗役として派遣された山下伴右衛門の願いにより、松前神明社神主の白鳥若宮太夫が御神体を勤請し、棟札と御幣帛を山下に託し山下が石狩に小社を建てた時とする。
300年以上に及び歴史があるということを知り、開創の時代は、下記の記事に書いた通り「商場知行制」から「場所請負制」への移行時期ともの重なるため、とても驚きました。
300年以上も前からあるんですか!想像できませんね。
弁天歴史公園
「弁天歴史公園」は石狩弁天社に隣接しています。
楽山居
旧石狩医院の和室を昭和12年(1937)の建築当時の姿に再生した建物で、とても素敵な雰囲気でした。ちょうど会合などが開催されていたようです。
先人たちの碑
石狩の歴史を築き上げた先人の苦労をたたえた碑です。石狩川、石狩を象徴する鮭とハマナスをモチーフとしてデザインされています。
運上屋棟
この地区に運上屋を縮小して現代風に再現したもので、観光案内所、トイレ、ホールがあります。
石狩市は、俳句が盛んな街のようであちらこちらに俳句碑や展示が行われていました。
石狩八幡神社
石狩が幕府の直轄地となった後の安政5年(1858)、函館総社八幡宮の神主、菊池重賢が同八幡宮の末社を造立し、蝦夷総鎮守として建立された由緒ある神社です。
弁天歴史通りも終わり、石狩灯台、はまなすの丘ヴィジターセンターへ向かいます。
ここからは道路も狭くなり、自然を多く感じられるようになります。
カモメや鳥の声が聞こえ、風が吹き、揺れる草木の擦れる音を耳にします。遠くには海の波の音も聞こえます。
とても心地よい感じです。
もうすぐ、”A”地点付近の石狩灯台、はまなすの丘ヴィジターセンターが見えてくるはずです。
いよいよ石狩川河口への入り口です。
早く灯台が見たいですね!楽しみです。
続く…
コメント