2019年3月31日で廃止されることが決定しているJR北海道の石勝線夕張支線。
120年以上にわたって、夕張のまちを支えてきた鉄道です。
その雄姿をこの目に焼き付けておきたいと思い、夕張まで出かけました。
JR石勝線夕張支線
このJR北海道石勝線夕張支線は新夕張から夕張までを結ぶ16.1キロの区間です。
明治初期、夕張川流域での大規模な鉱脈の発見から採炭開始、夕張駅が1892年に開業します。北炭(北海道炭礦汽船)や三菱グループが操業し、夕張市は1960年に人口が11万人を超え、国内屈指の「炭都」として大いに繁栄しました。
126年にわたる鉄路の廃止を惜しんで全国から「鉄ちゃん」が集まっています。
石勝線0キロポイントの南千歳駅から新夕張駅を経由して夕張駅へ
南千歳駅から10:43発の夕張行きに乗車します。懐かしい感じのワンマン列車が登場です。普段は1両編成ですが、廃線間近ということで2両になっていました。また、この南千歳駅は石勝線の0キロポイントとなっています。
南千歳駅から、石勝線を新夕張駅まで向かいます。途中は単線のため、特急の待ち合わせなどが10分程度ある駅や信号所もあります。
新夕張から沼ノ沢、南清水沢、清水沢、鹿の谷の各駅を通って、12:26に終点の夕張に到着です。列車に乗車していた方、地元の方などで列車が到着すると大変な賑わいとなっていて、ありがとう夕張支線実行委員会の方が手作りの爪楊枝入れを配布していました。
まずは夕張駅前のバリー屋台で腹ごしらえを
夕張駅到着は12:26だったので、まずは駅前のバリー屋台で昼食をとります。
炭鉱住宅の廃材を利用して建てた施設で、そば、ラーメン、ジンギスカン、ホルモン、海鮮が食べられる居酒屋などのお店が8件ほど入居しています。中央のフリースペースでは各店の料理を持ち寄って楽しむ事ができます。
前回は「カレーそば」を食したので、今回は、炭鉱の街にふさわしい名物としての「くろラーメン」を。竹炭を入れ込んだちぢれ麺がしょうゆ味のスープとよく合います。美味しくいただきました。
屋台内は、昭和な雰囲気が漂っていて、懐かしい看板などで装飾されています。大村崑さんのオロナミンCの看板などはその当時知らない人はいないというほど街に溢れていたような気がします。
夕張駅から鹿ノ谷駅まで散策を
帰りの予定の列車は16:40に夕張駅発です。それまで時間があるので隣の鹿ノ谷駅までを散策してみます。
駅前を出発して列車で来た方向を逆に歩きます。最初の踏切で夕張駅方向を撮ってみます。
札幌方面から夕張を訪れると、意外と雪が多いところで、雪が汚れておらず白いままなんだなと感じます。
道路の除雪の後を見ると、かなり積もった後で除雪をしたのだと思いますが、地層のような雪の層がキレイに見えます。また、住宅の屋根の雪を見ると、引き込まれている電線でかろうじて落雪が防げている様子がわかります。
「バリバリゆうばり」のマンホール
道路にあるマンホールも特徴的なものがありました。
「石炭の歴史村」がまだ営業していた頃にテレビのコマーシャルなどで使われていた北海道民なら誰でも知っている言葉が刻まれていました。
「バリバリゆうばり」
このマンホールに描かれているキャラクターは、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」のマスコットキャラクター「シネガー」です。
シネガーは、「シネマ」と「タイガー」をモチーフにしたキャラクターで、デザインは、漫画家の石ノ森章太郎さんです。
かつての高級住宅地・鹿の谷地区の鹿ノ谷駅
北海道炭礦汽船の全盛のころ、駅周辺の鹿の谷地区は幹部用住居が存在する高級住宅地で、北海道夕張北高等学校、北海道緑ヶ丘実業高校(←夕張工業高校)に通学する学生で賑わったようです。
駅舎内では、原将人さんの写真パネルが展示されていました。
再び夕張駅で
夕張駅から鹿ノ谷駅までは意外と近く、約1.3km程度です。ぶらぶらちんたら歩きながら再び夕張駅へ戻りました。
列車が入っていないときは駅はひっそりとしています。支線の終着駅であるので、雪で埋もれてしまいそうな車止めがあります。
そして「夕張の鉄路にありがとう!」の文字。120年以上の長きにわたって街を支えてきた鉄道に住民の感謝の気持ちが入っていて、こちらも熱くなります。
最後に
夕張支線は廃止となりますが、当然ですが街が消えるわけではありません。夕張には夕張メロンをはじめ、見どころ、映画祭などのイベントもたくさんあります。
鉄路が廃止された後は、バスが主体に交通網が整備され、これまでの鉄路よりも便数が増え便利になると聞いています。
春夏秋冬を通じて色々な風景、景色を楽しむことができます。ヘルシーウォーキングのいつでもウォークも設定されていますので、また訪れてみたいと思います。
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