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北海道「道の駅」・全市町村完全制覇への道(24) 札幌市白石区編(1)

北海道

北海道「道の駅」・全市町村完全制覇への道 24回目です。

前回は、秋の紅葉も真っ只中という札幌市北区の「北区歴史と文化の八十八選」を巡りました。

今回は、札幌市白石区の「白石歴しるべ」を白石区の歴史について感じながら巡ります。

1記事で書ききれないので2回にわけて記したいと思います。

北区に続いて今回も歴史モノなんだね。
白石区には「白石歴しるべ」ってのがあるんだな。

白石歴しるべ

“白石”は、戊辰戦争で敗れた仙台藩の白石城主、片倉小十郎の家臣の人々が明治4年(1872年)11月に当時、最月寒(もつきさっぷ)と呼ばれていた場所(現在の白石中央付近)に開墾のくわを入れ、白石村が誕生したことに始まります。

白石区では、その白石村の誕生から現在までの歴史について、「白石歴しるべ」として、史跡やゆかりの場所などの跡地に歴史案内板などを建てて表示しています。その案内板には、解説も記載されていますのでその場所の歴史について、よく理解することができます。

また、白石区の公式ウェブサイトには、歴史案内板にまつわる解説の詳細が掲載されていることから、歴史案内板を巡るだけではなく、背景、歴史についてさらに詳しく学ぶことができます。

白石歴しるべ

このリンク先の「白石歴しるべ」の解説は読み応えがありますね。

歴史案内板があるポイントは、広範囲に及びますが、行けるだけ行ってみようと思います。

こんなにたくさん、あるのかよ〜!結構広範囲なんだな!

札幌市営地下鉄東西線菊水駅からスタート

先ほどご紹介した「白石歴しるべ」のページにある、”古い地形図”や”航空写真”を見ながらそれぞれの項目の解説文を読むことで、理解は深まると思います。

ぜひ、傍にご準備いただいてご覧いたければと思います。

この記事では、それぞれのポイントについての解説は最小限にします。詳しくはぜひ、上記の札幌市白石区の「白石暦しるべ」(インデックスから散策)をご覧ください。

どのように巡るか、あまり事前に考えてはいませんでしたが、地図上の左側から徐々に右に向かうようにします。札幌市営地下鉄東西線の菊水駅からまずは、地図上の「19.宇都宮牧場跡」を目指します。

19.宇都宮牧場跡・17.旧国鉄東札幌駅周辺の工場地帯跡

「宇都宮牧場跡」は、明治35年(1902年)から昭和2年(1927年)に白石から上野幌に牧場を移転までの25年間、ここに広さ20ヘクタールの宇都宮牧場があった場所です。

大分県生まれの宇都宮仙太郎が、牧場経営を志して北海道へ渡り、アメリカ留学ののちに、サイロを持つ本格的な牧場を開き、近代的な飼育牛乳販売、バター製造を行いました。

この牛乳販売とバター製造は、後の雪印バターへとつながっていきます。

雪印バターの起源の地なんですね。その歴史も気になりますね。

沿革|会社情報|雪印メグミルク株式会社
雪印メグミルクの沿革

「旧国鉄東札幌駅周辺の工場地帯跡」は、豊平区から白石区の菊水・東札幌地区一帯にかけて、大正時代から昭和40年代にかけて、鉄鋼、ゴム、繊維、木材などの工場群が立ち並んでいた場所です。

定山渓鉄道(大正7年開通)、国鉄千歳線(大正14年開通)が交差する国鉄東札幌駅を中心とする地域が原材料の運搬に都合がよかったことが理由のようです。

鉄道の便利がいいと、工業が発展するよな。

22.有島武郎邸跡地

作家の有島武郎が現在の北海道大学で教授をしていた時の明治43年(1910年)5月から翌年7月頃まで住んでいたところです。

豊平川のすぐ脇の場所にあり、当時、ここからはどのような風景が望めたのでしょうね。

23.札幌遊郭(通称白石遊郭)跡・24.北海道庁立白石治療院・札幌市助産所跡

明治初期、薄野に札幌遊郭(通称薄野遊郭)が作られます。

薄野が市街地化するのに伴い、移転先として白石が選ばれました。大正9年(1920年)までに移転を終え、札幌遊郭(通称白石遊郭)が誕生します。

昭和33年(1958年)の売春防止法完全施行により姿を消すまでに30軒ほどの妓楼が立ち並んでいたようです。

暦しるべは、菊水公園の中にあり、公園内には菊水神社もあります。

遊郭の向かい側には治療院が必要でした。その後、札幌市助産所となり、昭和45年(1970年)に札幌市初の軽費老人ホーム札幌市菊寿園となり、現在に至っています。

1.白石村1番

菊水公園から札幌東高校の前を通り、国道12号線沿の白石公園へ向かいます。

ここが「白石村1番」です。ここから現在の白石神社までの約3.6kmの間に左右それぞれに50番までの番号を付け、土地割りをしたとのことです。

白石公園付近の国道12号線は、白石こ線橋となっています。こ線橋ですから鉄道が通っているのかというとそうではありません。過去に国鉄千歳線が通っていた名残で、線路があった跡地が今でも残っています。

11.エゾオオカミ捕獲場所・18.豊平外三カ村聯合用水路

「エゾオオカミ捕獲場所」は中央1条3丁目の池田食品本社の前にあります。

明治10年(1877年)にこの場所で昼寝をしていたエゾオオカミが捕獲されたとのことです。現在では、世界でただ一頭のオスのエゾオオカミの標本だそうで、北海道大学付属植物園内の博物館に展示されているとのことです。

博物館の標本はぜひみてみたいな。

池田食品株式会社
伝統的な製菓業でありながら、新しい挑戦をやめない。北海道札幌市で豆菓子の製造・販売を行なっています。

「豊平外三カ村聯合用水路」の歴しるべはもつき公園内にありました。

明治6年(1873年)に精進川から取水する平岸用水が完成し、稲作が盛んになるに伴い、明治27年に、豊平外三ヵ村聯合用水組合が設立され、平岸用水を幹線とし平岸から白石にかけての広い範囲に水を供給する用水路網が築かれました。

5.横丁通(札幌本府通)・10.白石のリンゴ園跡

「横丁通(札幌本府通)」と「白石のリンゴ園跡」の歴しるべは並んできよみず公園にあります。

「横丁通(札幌本府通)」は、現在の米里行啓通です。白石7番から豊平村の現在の国道36号線までを結び、主に生活道路として利用されていたようです。

とても重要な生活道路だったようですね。

「白石のリンゴ園跡」は、明治8年(1875年)から20年(1887年)までに無償・有償の果樹の苗木を開拓者に配布したことから、白石では豊平川付近から現在の地下鉄白石駅付近までリンゴ園が広がった跡です。

2.望月寒川

「望月寒川(もちきさっぷ)」は魚が豊富で、水は生活用水、農業用水として欠かせず、「白石の母なる川」と呼ばれています。

この川がなかったら今の白石はなかったということなのかな。

30.陸軍兵器補給廠

第二次世界大戦が始まり、昭和19年(1944年)に約38万平方メートルの土地に、北方戦線への兵器物資供給のために陸軍兵器補給廠が立てられました。

旧白石区役所付近には21万平方メートル程度、その他の場所にも分散して立てられたようです。

前半はここまで。後半へ続く。

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